水道管の中を歩く

流れていく

新宿

昨日から冬休みに入っている。

ファンデーションを新しく買いたかったのと、TSUTAYAに行きたかったのもあって休みの初日は母と新宿へ行ってきた。

新宿は思っていたより人が少なくて、それなのに久しぶりに出かけたものだから人にぶつかりまくってしまった。カバンを持っているときの自分の車幅(分かりにくい)が把握できなくなっている。

街行く人たちの服装を眺めていて、コートが毛羽立っているだけで随分とみっともなく見えるものだなと気づいた。サラッとした美しいコートを着ている人はそれだけで”ちゃんと”しているように見えるのだ。そう考えると私のコートはボロボロに毛羽立っている。2年前に7千円ほどで買った安物のコート。そろそろ買い換えなければならない。そういえばグレーのパーカーもよれてきている。ベーシックなものは長く着れるからこそ、メンテナンスをしなくてはならないし買い替えも必要なのだろうな。ちゃんとした人になりたいから、出来るだけ小綺麗でいたいものだ。

 

仕事も探さなければ。

今年の4月から接客の仕事をしているが、始めから1年で転職することは決めていた。長く続けても得られるものがある仕事ではないのもあるし、自分に向いている職業を知るには職を転々とするしかない。

上司にそれなりに気に入られていて、同僚に顔を覚えてもらって話をするようになっている。離れがたいとは思わないが、腰が重くなってしまってもよくない。来年の4月には違う仕事についているはずだ。

 

昨日の新宿で姪へのお年玉代わりに絵本を買った。新生児でも見やすいように赤や黒、黄色や白などコントラストがハッキリした色で描かれている本で、中身を見てみたところ大人の私でも良いなと思わされた。ロングセラーの絵本というものは確実に人間の本能というか、強いていえば獣性に訴えかけてくるようだ。ストーリーがいくら道徳的であっても、絵はいつも獣性を呼び覚ます。

新宿の紀伊国屋絵本売り場が好きで、毎年年末になると知り合いの子供らへのプレゼントを選びに行く。愛されるべき子供らへのプレゼントを選んでいるときどうしようもなく幸福になる。そして帰り道孤独を感じる、だって親戚以外で私に本を贈ってくれたあの人は自死したのだった。理性の塊のような自死という選択を、あの人がなぜ選んだのかも知らないし後悔も罪悪感もないが、私はあの人への感謝を込めて子供達のために本を選んでいる。