水道管の中を歩く

流れていく

逃げてきた

ここのところ体調が悪く、咳喘息というのが長引いてずっと咳をしている有様だ。

 

今年は色々なことをした。漫画を印刷所に頼んで本の形にしてイベントで頒布したり。チクチクと手芸をしてイベントで販売した。ずっと使っていたTwitterのアカウントを健全な人間のものに生まれ変わらせて、その代わりに内面に潜り苦しむさまを言葉にし続けるアカウントを新しく作った。リアルの友人にも誰にも教えないそこでぐちゃぐちゃな自分でいた。

そしてそのアカウントを最近になって封印した。呪詛を吐かない、言葉にしない、文章にしない、形に残さない。

 

精神が健全な人間になりたいと何回思ったことか、物心ついたときからずっとずっと。

小学校の遠足に行きたくなくて1ヶ月も前から泣き暮らしたときもそうだった。もう嗚咽で吐くんじゃないかというほどになって、休みなさいと母が言う。友人もいた、遠足先の水族館でペンギンを見たいと思った、母のお弁当が好きだった、なのに。どうして泣いたのか、どうして行きたくないのか、どうして人と同じことが同じようにできないのかそればかり考えている。もうずっとなんだ。高校3年生の修学旅行に行きたくなくて泣いたのも。友達が好きだった。関西に行ってみたかった。なのになんで泣いてしまうのか分からない。分からなかった。分からないままだ。

父親が死ぬ前の年のクリスマスにプレゼントされたデジタルカメラNIKONのカメラ白くて美しい私の好きなカメラ。それを開封したとき泣いた。なんで私にカメラなんかくれるんだ。もう放っておいてくれ、私にそんな価値はない。私の精神は健全でないからこのカメラを、このカメラをくれた父親を喜ばせることばかり考えてしまって、それがもう辛くて仕方がない。もう自分の機嫌を取るのも他人の機嫌を取るのもしたくない。

 

小学校の遠足写真が廊下に張り出されて、みんなが番号を紙に書きつけていく。青い水槽に大きな魚が泳ぐ。その魚に伸ばされる子供の手のシルエット。その写真の番号を書いた封筒には、私がいない遠足の風景がしまわれている。