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水道管の中を歩く

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屍者の帝国見て読んだ

10月14日にTOHOシネマズ新宿で『屍者の帝国』を見てきた。

 
友人に教えてもらった『ハーモニー』で伊藤計劃作品に初めて触れてから、虐殺器官屍者の帝国も読まなきゃな~と思いつつそのままにしていた。映画の公開が終わってしまうと嫌だったので原作未読ながら見に行こうとだるだると朝一の回へ。
 
事前に見ていた予告映像からワトソンとフライデーの友情モノなのかな?という印象だったんだけど、実際はそこまで重きは置かれず映画を見た感想としてはむしろワトソンとバーナビーの冒険じゃんみたいな。フライデーが屍者化されてしまって喋らない&過去回想で深い設定が語られないのが原因なんだと思うけど、力点が分散しててストーリーとしては分かりにくいなと思った。映像はきれいだけどものすごく印象に残るシーンがあったわけでもなかったから映画としては可もなく不可もなくという感じ。
 
私に伊藤計劃を教えてくれた友人は映画を見て「原作既読者からすると許容できない改変のように思う」と言っていた。だから原作も読もうと思って映画館からの帰り紀伊国屋で文庫本も買った。
伊藤計劃フェアが行なわれていて小さなブースに様々な本が並び、PSYCHO-PASSの槙島さんが屍者の帝国を読みながら「紙の本を読みなよ」と言っているイラストが置かれていた。同じノイタミナ作品としての登場ですね。
 
原作を読んだ感想は「サイコーやんけ」って感じで映画より原作が好き好き状態にすぐなった。一番びっくりしたのはフライデーがワトソンの親友でもなく国からの支給品ということだけど、結局はすぐに納得した。映画見ててあんまりにもありがちな設定だなと思ってたから、むしろ原作はそんなんじゃなくてよかった~と思った。二人の関係性を変更しているという脚本家のインタビューは見ていたけどここまで違うと清々しいね。
フライデーはワトソンとの旅を経て「意識のようなもの」を得る。その原因が親友との旅か仕事相手との旅かというのは相当に大きな違いで、正直親友との旅で意識芽生えてもふーんとしか思えないんだよな。
 
意識が菌床の生存からなる副次的なものという不確かさと、フライデーが旅の随行から意識を得るという奇跡的なイメージが重なって気持ちが良かったからせめて菌床の説明さえあれば映画の印象は変わったかもしれない。
 
ワトソンが最後に頭に書き込んだのは拡大派の菌床なのか保守派なのか、そもそもザ・ワンが語った意識は菌床によって見せられている夢というのは本当なのか。このへんすごく気になる。一回読んだだけじゃ固まらない。
 
映画はともかく原作はすごく面白かった。クライマックスシーンの解釈とか自分ではまだまとまってなくて、他の人がどんなふうに受け取ったのかこれから書評をめぐるのが楽しみ。