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水道管の中を歩く

流れていく

明日は休み

なんども起きては寝てを繰り返した朝方。

 

完全に一昨日買ったDVDのアーティストにハマった感覚がある。ライブのチケットも取る予定だ。ミュージシャンはいい。若いままでいられるようだな。音楽は不老不死の力があるのかな。最近はアーティストが公式のyoutubeチャンネルを持っているから、それを見ていると時間がどんどん過ぎていく。漫画の締切もあるので動画は禁止にした。バイトが暇な時期なので、ぼんやりしている間は曲の歌詞を見たりしている。韻を踏んでいる、とかこの人の実体験かなぁ、とかそういうことをぼんやり考えている。

 

妄想することが好きなので、ミュージシャンになった自分とか、格闘的にも強く屈強な精神を持った自分とか、頭の中で大活躍させている。子供の頃はそういうのが下手で、現実はどこまでも現実でしかなかったのに。20歳を超えたあたりから妄想ばかりしている。逃げていいのだなというのが分かったから、頭の中の自分くらい特別に幸福になったっていいのだなと分かったから。妄想は楽しい。笑えるし泣ける。

 

姪のお年玉にと買っておいた絵本が姪の手に渡り、とても喜んでいるという報告を受けた。そうか。少し複雑になる。私は誰を幸福にしたいんだったか。私は私を幸福にしたいのだけど。

 

春になったら、少し男っぽい格好をしようと思っている。メッセンジャーバッグに高いチャンキーヒールで、バンドマンみたいな動きをしてやろう。妄想の中の自分が楽しそうだったから、現実にしてやろう。カッコよく決めてやろう。楽器はできないが、大きな声で歌ってやろう。

 

バイト先へ

眠い。今日から仕事初めである。

 

正月出勤すると時給に少し上乗せしてお給料をもらえるので、今日明日でプラスしてもらった分をお年玉としよう。

昨日は友人の家でニコニコお喋りをして、帰りにライブDVDを買った。私は尊敬する人が好きなものやオススメしてくれたものは全て見るようにしている。好きとか嫌いとか抜きにして手に入るものなら見るし、体験できるものならやる。個性は内側から生まれるものではなくて、外側から何を選ぶかだと思っているので尊敬する人の選んだものに興味があるからだ。その人が何で構成されているのか知れば、少しは近づける気がする。

 

ライブDVDを見ていると、私は昔からバンドマンが好きだったなぁということに気づく。いつまでも子供のように居られる人、人を喜ばせることができる人、自分の汚いところも愛してもらえる人。

いつまでも子供のようでいたい。大人ぶって安パイを取れるのは成長だけど、本当は不安も苦しみも飲み込んで力でねじ伏せるように生きてみたい。

家に帰ったらDVDの続きを見る。

 

明後日は休みだからまたどこかへ出かけようか。初詣に行こうか。母が氏神様の祀られている神社が建て替えられたのを見て、神様がいなくなってしまったようだと言う。美しく現代的になりすぎてそんな気持ちになったようだが、信仰とはブランディングの賜物という気もするので気持ちは分からなくもない。いるいないの話ではなくて、信じる気持ちが持続させられるかの話である。

私は私の神様を信じている。とても厳しく、気難しい神様。神様のために生きる気なんてないが、神様がいたから私の今がある。私にとっての神様とは道徳なのだった。

 

 

中央線

年が明けた。電車に乗っている。

 

年越しの瞬間はジャニーズカウトダウンコンサートをテレビで見ていた。NEWSのファンなので突然のツアー発表に頭がふわふわとしながら寝床についた。久しぶりになんの夢も見ないで朝を迎えられて少し嬉しい。

今日は友人の家に行ってお喋りをする。初売りも少しだけ見る。年末にお年賀を買おうと思っていたのだが、文鳥が卵を産みそうで産まないので様子を見ていて買えなかった。なので今日は少し早く家を出て、地元のお店を覗いて行った。どこも元旦はお休みでこれは買えないかもしれないなぁとトボトボ歩いていたが、ふと思い出してとあるお店に電話をかけたらやっているという。

無事にお年賀を買い、お正月サービスのくじ引きを引いて中吉が出た。お店の看板商品を景品にいただいて、友達に会うのをワクワクしながら電車に乗ってこれを書いている。

 

今年はどんな年になるだろうか。私は年度別で目標を立てているのでとくに心機一転という感じではないのだけど、年明けの空気は気持ちがいい。手帳もカレンダーも新しいものをおろして、ワクワクしている。

 

友達の家の最寄り駅に着く。また続いて行く日常を好きになれるように素敵な一年を。

 

大晦日

昨日は頭がぼわぼわしてしまって何事にも集中できない日だった。

 

忘年会の予定があったのだけど、飼っている文鳥が卵を産みそうだったので様子を見ていたかったのと体調が悪くドタキャンした。申し訳ない。

体調がすこぶる良い日と悪い日が短期的に交互にくるのが最近続いている。とにかく頭がぼわぼわしてしんどい。友人には脳貧血では?と言われていて頭に血を登らせたら治らないかと逆立ちをしてみたりした。こういう頭の悪い方法で体調をなんとかしようとするところは昔から変わらないなと思う。

 

年末になると正月のことを考えてしまって憂鬱になる。私は一昨年の冬から完全に親戚づきあいというのを放棄したのだが、放棄したことに罪悪感をまだ持ってしまっている。自分の選択を誇れないのは悲しい。親戚づきあいを放棄したので、基本的に正月は家でダラっとするかバイトに出かける。去年はやることがなくて死にそうだったが、今年はバイトに行けば人と話す機会もあるしお金ももらえるしとても良い。

ネットを見ているとやはり正月の親戚づきあいに早々と怯えていたり憂鬱になっていたりする人がたくさんいる。みんな嫌だけど我慢してやっているんだな。私は逃げてしまったけど良かったのかな。そういうことを考えてしまう。我慢ができるのはとてもすごいことに思える。昔から我慢ができない。我慢しようとすると吐いたりしてしまう。ワガママであると思われているだろう。

でもワガママだと私を断じて責めるお前がまずワガママな振る舞いをしているぞ、と思う。ひたすらに寛容にしてくれていれば私も縁を切るようなことはしなかった。そう思って自分の正当性を主張しなければ元気でいられない程度には、年末から正月にかけては憂鬱だ。

 

早く社会の正月ムードが終わって、夏になってほしい。夏になったら鎌倉に行く。そういう約束をしている。日常は続いて行く。苦しいのはいつか終わるから大丈夫。

今日は漫画を描きつつ少しだけ部屋の掃除をして、夜は大好きなアイドルをテレビで見る。

吉祥寺

昨日は写真を撮るために吉祥寺まで行ってきた。

 

今年に入って漫画を描くようになったので、背景になるような街並みの絵を描く必要が出てきた。想像で描くのは私には無理で、自分で撮った資料写真を元に書き起こしている。

ずっと漫画を描いていると、初めはとにかく嫌だった背景や主要キャラ以外の人物、敵や書き文字なんかも楽しくなってきた。描けば描くほど工夫できる部分がわかるようになってきて、嬉しい。バイトに出かけて仕事をしている間も、家に帰ったら漫画を描けると思うと心が楽になる。私にはやりたいこと、やるべきことがあると思うと生きていていいような気がする。

 

しかし、家に帰ってきて撮った写真を確認すると枚数が少ない。たくさん撮ったと思っていても40枚くらいしかなかった。元々写真を撮るということが得意でなく、ガラケーの時代から画像フォルダには自分で撮った写真よりもネットから保存した画像の方がずっと多い。どこを切り取ればいいのかという理想がないから、なんとなく遠景で撮ってあとで加工なりすればいいだろうと思ってしまうのもある。資料写真はあればあるだけ良いもので、もっとたくさん撮りたいのになと思う。

 

写真が苦手なのにはふとしたときに撮った写真に写りこむ大量の情報から、自分の素性が明るみに出るのではないかと思うのも一因だ。身バレというのを極度に怖れている。

神経症持ちだからか、ネットに絵や漫画や文章をあげることに強い不安を覚える。何度も確認して、不安要素を排除してからでないと投稿ができない時期もあった。もうネットに上げなければいいのに、と周りからは言われるけれどネットくらいでしか話せないので止めることはないと思う。

私はとにかく日常で愚痴や悪口、呪詛を吐く人が嫌いだ。芸人さんのように、面白おかしく話してくれるならまだしも。ただただ純粋に人を傷つけるようなことを、本人ではない人に話すその様を見ているのがつらい。だから私もなるたけしたくない。でも愚痴や、内面に対する失望や諸々が湧いてくるときもあり、それをネットに放流している。誰も傷つかないんじゃないかと思い込んでいる。でもきっとそれも違うんだろうな、多分それで私は私を傷つけてるんだろうな。

 

今日はこれから漫画を描き始めて、夜になったら出かける。忘年会的なものに行って話をする。楽しい話ができると良い。

 

 

新宿

昨日から冬休みに入っている。

ファンデーションを新しく買いたかったのと、TSUTAYAに行きたかったのもあって休みの初日は母と新宿へ行ってきた。

新宿は思っていたより人が少なくて、それなのに久しぶりに出かけたものだから人にぶつかりまくってしまった。カバンを持っているときの自分の車幅(分かりにくい)が把握できなくなっている。

街行く人たちの服装を眺めていて、コートが毛羽立っているだけで随分とみっともなく見えるものだなと気づいた。サラッとした美しいコートを着ている人はそれだけで”ちゃんと”しているように見えるのだ。そう考えると私のコートはボロボロに毛羽立っている。2年前に7千円ほどで買った安物のコート。そろそろ買い換えなければならない。そういえばグレーのパーカーもよれてきている。ベーシックなものは長く着れるからこそ、メンテナンスをしなくてはならないし買い替えも必要なのだろうな。ちゃんとした人になりたいから、出来るだけ小綺麗でいたいものだ。

 

仕事も探さなければ。

今年の4月から接客の仕事をしているが、始めから1年で転職することは決めていた。長く続けても得られるものがある仕事ではないのもあるし、自分に向いている職業を知るには職を転々とするしかない。

上司にそれなりに気に入られていて、同僚に顔を覚えてもらって話をするようになっている。離れがたいとは思わないが、腰が重くなってしまってもよくない。来年の4月には違う仕事についているはずだ。

 

昨日の新宿で姪へのお年玉代わりに絵本を買った。新生児でも見やすいように赤や黒、黄色や白などコントラストがハッキリした色で描かれている本で、中身を見てみたところ大人の私でも良いなと思わされた。ロングセラーの絵本というものは確実に人間の本能というか、強いていえば獣性に訴えかけてくるようだ。ストーリーがいくら道徳的であっても、絵はいつも獣性を呼び覚ます。

新宿の紀伊国屋絵本売り場が好きで、毎年年末になると知り合いの子供らへのプレゼントを選びに行く。愛されるべき子供らへのプレゼントを選んでいるときどうしようもなく幸福になる。そして帰り道孤独を感じる、だって親戚以外で私に本を贈ってくれたあの人は自死したのだった。理性の塊のような自死という選択を、あの人がなぜ選んだのかも知らないし後悔も罪悪感もないが、私はあの人への感謝を込めて子供達のために本を選んでいる。

逃げてきた

ここのところ体調が悪く、咳喘息というのが長引いてずっと咳をしている有様だ。

 

今年は色々なことをした。漫画を印刷所に頼んで本の形にしてイベントで頒布したり。チクチクと手芸をしてイベントで販売した。ずっと使っていたTwitterのアカウントを健全な人間のものに生まれ変わらせて、その代わりに内面に潜り苦しむさまを言葉にし続けるアカウントを新しく作った。リアルの友人にも誰にも教えないそこでぐちゃぐちゃな自分でいた。

そしてそのアカウントを最近になって封印した。呪詛を吐かない、言葉にしない、文章にしない、形に残さない。

 

精神が健全な人間になりたいと何回思ったことか、物心ついたときからずっとずっと。

小学校の遠足に行きたくなくて1ヶ月も前から泣き暮らしたときもそうだった。もう嗚咽で吐くんじゃないかというほどになって、休みなさいと母が言う。友人もいた、遠足先の水族館でペンギンを見たいと思った、母のお弁当が好きだった、なのに。どうして泣いたのか、どうして行きたくないのか、どうして人と同じことが同じようにできないのかそればかり考えている。もうずっとなんだ。高校3年生の修学旅行に行きたくなくて泣いたのも。友達が好きだった。関西に行ってみたかった。なのになんで泣いてしまうのか分からない。分からなかった。分からないままだ。

父親が死ぬ前の年のクリスマスにプレゼントされたデジタルカメラNIKONのカメラ白くて美しい私の好きなカメラ。それを開封したとき泣いた。なんで私にカメラなんかくれるんだ。もう放っておいてくれ、私にそんな価値はない。私の精神は健全でないからこのカメラを、このカメラをくれた父親を喜ばせることばかり考えてしまって、それがもう辛くて仕方がない。もう自分の機嫌を取るのも他人の機嫌を取るのもしたくない。

 

小学校の遠足写真が廊下に張り出されて、みんなが番号を紙に書きつけていく。青い水槽に大きな魚が泳ぐ。その魚に伸ばされる子供の手のシルエット。その写真の番号を書いた封筒には、私がいない遠足の風景がしまわれている。