水道管の中を歩く

流れていく

仕方ない

さーて、ドッコイショだよ。

眠れない。1時間くらい前まで友人とちょっと打ち合わせをしてたんだけど、興奮しすぎたのか全く眠れなくなってしまった。暇すぎて母親の部屋に行って本棚を眺めたりしたけどとりあえずつまらないから帰ってきて布団に入っている。

最近は卒制のためにわさわさと動いていて、レンタル工房に何度も通っていたのがやっとひと段落したところだ。レンタル工房に行くのもすっかり慣れて、スタッフの人に顔も覚えてもらって通いやすくなってきた頃合だったけどもう行かなくて済むかもしれない。残念なような良かったような複雑な気持ち。
卒制が終わったらとりあえずはフリーターをしながら適当に手芸をしてぼんやり生きていこうと思っている。ニートにならないようにとにかく少しでも働くこと、ものを作り続けること、家にお金を入れること。この3つを守って、数年まず生きてみたいところ。
レンタル工房に行くといろんな人が自分の作りたいものというのを心に持ってるんだなというのがわかる。具現化したいものを持ってて、それが売れたら良いなとか思ってて、安心する。自分の分身というか、中から外へと出していくというか、ものを作るっていう単純なことをしてる人を見るのは安心するんだよ。
レンタル工房は都内にいくつかあって、そういうところで働いてみようかとも思ったけど、ずっとやってみたかった接客とは少し違うようだから諦めた。

接客の仕事をしたいと思い始めたのはつい最近で。私は親や友人や教師や適性診断やらからデザイン職、芸術系、クリエイティブな仕事が向いていると言われ続けてきて、そうかぁ、ではそうしようと思って美大を目指したりしていたんだけど、どうやら違うようだとやっと気づいたからだ。
私は自分のために作り始めて飽きたら放り出すようなもの作りは好きだけど、仕事として他者から求められるクオリティを目指すというのがとにかくダメなのだと本当にようやっと分かった。
あなたにはこれが向いている、というのは本当に呪いだと思う。手先が器用だからといって手先を使う仕事が向いてるとかそういうわけではないんだよ。人の向き不向きというのは大抵誰かに押し付けられた幻想でしかないんだよ。
本当に好きなことが、ただ誰かの夢見た幻想だったとかよくあるんだよ。親は子供に夢を乗せるんだよ。クリエイティブなことを学んだことが無駄だったとは思わないけど、それを手放すことができて本当に良かったと思う。自分には向いていないんだって気づくために勉強したんだと思えば、本当に貴重だった。可能性を捨てるのは案外難しいからな。

接客の仕事を探さなきゃならない。惹かれる仕事はたくさんある。だけど不安が邪魔をする。続けられるかなとか、うまくできるかなとか、迷惑をかけないかなとか、暴走した思考が身体全部を支配してきてなんにもできない怖い助けてってパニックを起こす。これを飼いならすのが今後の課題で、生きていくために必須だと思う。

今後もつらいことは避けて楽しいことをして、それを非難する人を遠ざけ私を許してくれる人のそばにいる。それでどこまでも下の方に行くんならそれで良いよ。つらいままいるのだけは嫌だ。私にはできることがあってできないこともあって、それは誰かと違うけど仕方ない。私は私のためと好きな人のためにしか、いろいろができなくて仕方ないんだよ。
本当に仕方ないんだよね。


「わたし」と「あなた」のハーモニー/伊藤計劃ハーモニー感想

 

ハーモニー ハヤカワ文庫JA

ハーモニー ハヤカワ文庫JA

 

 

11月15日に映画『ハーモニー』を見に行った。

原作は読んでいたからとても期待して行ったのにも関わらず、トァンと父の会話のあたりで寝てしまいとても悔しい思いをした。ただ、トァンとミァハの百合というかレズというかそういったスキンシップ描写は見たので、映画についてはそこだけを取り上げたい。あとは原作のことでも書こう。覚書だよ。

 

__________

私はこの作品を読むと、「わたし」と「あなた」という二項対立のことを思う。本当は「わたし」と「私以外のなにか」でなくてはならないんだけど、それだと私の頭では追いつかなくなるからだ。

ハーモニーで描かれる世界は生府を頂点とした、人間の命をリソースとした思いやりの世界だ。「わたし」は私だけのものではなく生府を通じた人類との共有物である。「わたし」には意思があるが、身体は私の意思とは無関係に健康を保つ「WatchMe」に繋がれている。繋がれていなければならない。不健康であること、それを容認すること、他者に不干渉であることは悪である。そういう世界だ。

そんな世界で成長期を終えるまでという「WatchMe」のメインサーバに繋がれない、ある意味の猶予期間にトァンとミァハとキァンは出会った。そして思春期を共に過ごし共感と依存とを混ぜあわせた奇妙な関係の地続きの中「WatchMe」と生府を騙し、自死しようとする。

 

ミァハはとても賢く共に戦う同志を探していた、とトァンは考えている。

ミァハは本を読みながら公園で友達を探していた、とキァンは考えていた。

 

小説の中での描写では、どこか浮世離れしており賢く、哲学や文学を愛し、生府の統治する世界を憎む大人びた少女、とされているミァハ。デッドメディアとなった本を「孤独の持久力が高い」と評したミァハ。それでも私はミァハが孤独を愛していたとは思わない。

 

ミァハは「意識を持たない」という劣性遺伝子を備えた少数民族の生まれだ。そこから攫われレイプされるうちに憎しみを知覚し始め、意識をエミュレートする事ができるようになった。意識をエミュレートできるように”なって”しまった。

ミァハにとってそれはきっと不幸だった。攫われることよりも、レイプされることよりも、意識を理解してしまったことがミァハにとっての最初にして最悪の不幸だったんだろう。

 

意識がミァハにもたらしたのは、「わたし」と「あなた」だ。

保護される「わたし」、カウンセリングを受ける「わたし」、養子として引き取られる「わたし」。

保護する「あなた」、カウンセリングする「あなた」、養子を引き取る「あなた」。

それは「わたし」は私でしかなく生府がどんなにリソースとして還元しようとしても絶対に薄まることのない、「わたし」という孤独を見出したということだ。

 

ミァハが憎んだのは孤独であって、世界ではないのではないか。

 

同じように自死をしようとして失敗したトァンは、自らをミァハのドッペルゲンガーだと評す。

しかし、ミァハに出会い知識と世界を憎む方法を授けられたトァンは孤独に憧れている。物心と同時に意識を持っていて、生府の作った思いやりの世界で繋がっていることが当たり前に育ったトァンは「わたし」をエミュレートすることしかできない。トァンは本当のハーモニーの世界を知らないから、本当の「孤独」という絶望を思い描くことができない。だから憧れのままの孤独を愛そうとする。

そしてキァンは「孤独」も「世界」も憎まなかった。キァンはミァハとトァンを深く深く理解できるだろう。だからこそキァンはミァハへの贖罪として13年ごしの自死を達成する。

 

ミァハは意識が見せる孤独が恐ろしく、それなのに孤独をまるで無いかのように振る舞う世界を憎んでいたんじゃないか。

トァンは身体を繋げられる結束が煩わしく、それなのに憧れの孤独の邪魔をする世界を憎んでいたんじゃないか。

 

ミァハとトァンはまるで別の理由で同じものを憎んでいて、最期にトァンはそれに気づいた。自らが「わたし」という孤独にあること、ミァハがその孤独を憎んでいたことを理解した。

だからこそトァンはミァハが思ったやり方ではない形で孤独に寄り添った。キァンと父親の分の弾丸を渡し、孤独を理解し孤独なままそばにいた。

世界は変わってしまうけれど、孤独の存在する世界をミァハと共に見た。それは初めてキァンとトァンが見た本当に同じ景色。

 ________

ここまでは原作の話。映画の話もしよう。

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映画は基本的にストーリーは原作準拠だけど、ミァハとトァンの関係性に「性」を感じる。

 ミァハがトァンに触れる、キスをする、舐める。その理由と、それをトァンが受け入れる理由。それに性のイメージをどうしても感じてしまう。

私は上でも書いたとおりミァハは孤独を恐れていると思っている。また、トァンは学生時代まだ「わたし」をエミュレートすらできていない。そう考えるならミァハが孤独を埋めるためにスキンシップを取ることも、トァンが「わたし」を知らないからこそ近すぎる距離感を受け入れるのもありえることなのかもしれない。

でもそのスキンシップが「性愛」を感じさせるような演出になってしまっていることが残念だ。ふたりはすれ違っていなければならない。相手を思いやってはならない。そこには愛も性もない。「わたし」と「あなた」がいただけだ。本当の最期だけ2人はお互いを理解した。

 

「わたし」と「あなた」は概念に近い。ミァハとトァンという「わたし」と「あなた」、「あなた」と「わたし」は恋もしないし愛もなく、自己欲求をかなえるだけのものだ。互いを見て己が変わっても、相手を変えようとは思わない思えない。目の前の相手を見ずに無意識だとしても世界を変えるための駒にした。

トァンにとっての「私のカリスマ」はミァハにとって必要のないものだ。それは孤独をまとわせる消し去りたいものだ。

ミァハにとっての「ただの人間ではないトァン」はトァンにとってはありふれたリソースのひとつだ。それは孤独を知らない公共物だ。

 

2人は自分自身の欲求のために行動した。それはハーモニクスの世界にはないもの。社会的合理性を欠いたワガママ。

 

そんな2人に性愛なんて型を当てはめてほしくなかった。すれ違い続ける2人の最期の会話が「愛してる」なんて笑わせてくれる。最期、2人の間にあったのは愛なんてチャチなものではない、人間の真理みたいなもの。言葉にならないもの。だからこそ映像でそれを見せて欲しかった。

_______

 

これで感想はおしまい。

 

 

ハーモニーという作品は友人に勧められた本だ。映画化が発表される少し前に読んだ。映画より先に読めてよかったと思う。愛にあふれた愛のないユートピアというディストピアを、伊藤計劃の文で読むことができてよかった。眠ってしまった映画の途中に一体何が起こっていたのかいつかは確認したいけど、その前にもう一度小説を読むことにする。

 

 

先週くらいまでのこと

 最近のことを記録しておく。

 

10月27日にサカナクションの武道館ライブに行ってきた。

席は東のスタンド、前から10番目くらい。横からなのでまあそんなに良い席ではないんだけど、後方スピーカーもあったし十分楽しめた。

「好きなステップで踊ろう」

 山口一郎が言う。踊ろう、踊れとかの掛け声は聞いたことはあったけど、好きなステップでって言われるだけでホッとした。ダンスに自信はないけど、不器用でも足を動かして手をヒラヒラと振って飛んだ。それだけで楽しい、音と一緒に踊るのはとても気持ちがいい。隣のお兄さんも前のカップルもはけていくメンバーに手を振った。またね~

原始的で普段は忘れている身体表現を思い出した夜だった。

 

 

11月2日は東京デザインウィークへ行った。

卒制のアイデアのヒントになるものはないかしらと思っていたけど、結果だけ言えばなかった。販売されてるものはまぁ雑貨屋に置けばそれなりに売れそうなものが多かったけど、展示だけのものがどうコメントしていいやら分からないものばかりで、プロ展という恥ずかしい名前のブースでも無言になってしまった。

手作り雑貨のブースが外のテントに出ていてそこでよさ気な作家さんを何人か見つけたので、いくつか買って名刺をもらってアーカイブした。今後は知人へのプレゼントを選ぶ際にお世話になるだろうと思う。

 

 

他の日はダラダラ過ごしました。

普段使ってる化粧品の覚書

 

ふっと思い立って自分が普段使っている化粧品をまとめておこうと考えた。

始めて化粧をしたのが高校生の時、そのころからかなり使ってるものは変わった。今後も変わっていくんだろう。何年後かにこのまとめを見たら楽しいかもしれない、未来の自分のために書いておこう。

 

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ポーチから出して並べただけの写真。左上段から使っていって右下で終わるように並べた。使う順番で紹介。

 

1.ポーチ

earth music&ecologyで買ったもの。ファブリックデザイナーとのコラボ商品で、普段は耳がついてるのとか買わないんだけどこれは一目ぼれして買った。買うときにかなり迷ってお店を一回出て1時間後に戻ったら「おかえりなさい~」って店員さんに言われたの覚えてる。

 

2.オートマティックビューティ ダブルアイリキッド

二重のり。アイプチですな、これの前に3つくらい試してるんだけど今のところこれが接着力が強くて気に入ってる。ただ乾きかけの良いタイミングじゃないときれいにくっつかないのでうまくいかないこともある。コツをまだつかめてない。

 

3.キャンメイク ラスティングマルチアイベース

これをつけるとアイシャドウの発色がすごく良くなる。眉のへんにも塗るとアイブロウも崩れにくい気がする。アイプチするときはこれは省略します。油分があるからなのかアイプチがはがれてしまうからね。

 

4.キャンメイク カラースティック07番(アプリコット

コンシーラーとして目の下の黒ずみを隠す用に使ってる。でも粘度が低いからファンデを塗ってるうちに薄くなってあんまり隠れない。小鼻の赤み消しにはこれでいけるけど、クマは無理だな~。

 

5.ベビーピンク BBクリーム01番(ライトカラー

肌に合うファンデがなかなか見つからなくてニキビができまくってた時にネットで見て買ったもの。これひとつでいろいろなんとかなるからファンデより便利。少量でかなり伸びるのでコスパが良い。ただ私の場合は付け方が悪いのか濃くつきすぎるようで、人から「濃いよ」ッて言われることがある。次は違うのを試すつもり。

 

6.キャンメイク パウダーアイブロウ12番(ライト)

最近むりくり眉を目に近づけようと必死なのでこれが必須。眉の上を少し剃ってその分これで下に足す感じ。眉尻を目より長くすると小顔に見えるというBAさんからのアドバイスを信じて使ってる。

 

7.ヘビーローテーション カラーリングアイブロウ01(イエローブラウン)/04(ナチュラルブラウン)

BAさんに黒髪だとしても眉は少し明るくしたほうが垢抜けて見えるとアドバイス頂いたので買った。01番は金髪だった時に買って暗くした時に04番を買い足したけど、黒髪の今でも01番使っちゃったりする。結構すぐに落ちちゃうのではなから明るくしといたらマシかなみたいな脳筋思考です。

 

8.(上段)キャンメイク ジューシーピュアアイズ02(ハッピーサニーブラウン)

友達のアイメイクが綺麗だったから何を使ってるのか聞いたらこれだった。色も真似して買ったけどこれが使いやすい。下地のハイライトカラーのラメが大きめで華やかさが出るし、基本のブラウンなのでどんな時でも使える。地味目にしたいときはハイライトカラーは使わない。

 

9.(下段)キャンメイク アイニュアンス32(ショコラアップル)

去年の夏とかに目尻に赤を入れたくて買ったやつ。最近はあまり目尻には入れないけど上に書いたアイシャドウの中間色と赤を混ぜて柔らかいピンクにして下瞼にがっつりいれる、所詮病弱メイクみたいなのに使ってる。赤系はあると何かと便利だし安いしで重宝している。

 

10.KATE ディープリキッドアイライナーWP N(ブラック)

このアイライナーもネットで知ったやつだけど、全然落ちない。にじまないしこすっても平気。跳ね上げとかするのに最高すぎるライナー。ただ筆がものそい細いのでまつげの隙間を埋めるのは難しいし乾くのが遅い。使い始めのさらさらテクスチャだと乾かないうちに触って大惨事ってことがまま起こる。

 

11.CEZANNE ボリュームコームマスカラ(ブラック)

マジョマジョのマスカラ使ってたけど、落とすのが大変だしまつげに負担がかかってちぎれたりといろいろあったのでこれに。ボリュームはでないけど濃くはなるし長さも少しだけ出る。マスカラしてない風だけどくっきりみたいに見えるので私には十分。お湯で落ちるという触れ込みだしクレンジングで少しなじませれば確実に落ちるからまつげを休ませたい時にもいいかも。

 

12.キャンメイク リップティントシロップ02(ストロベリーシロップ)

最近買ったやつ。とにかくグロスのベタベタ感が苦手で、でもツヤツヤ感は欲しくてって探してたらこれが評判よかった。使うとめっちゃ良い色味でベタベタしないし最高。色素沈着系の成分なのかは分からないけど色がかなり長く残るのも良い。

 

13.MAC リップスティック(レトロ)

百貨店に入ってるブランドのコスメを初めて買ったのがこれ。少しブラウンがかった赤でモードっぽくなる。アーモンドバニラみたいな香り付きなのが気に喰わないけど発色は最高だし、割りと長持ちする。キャンメイクのリップティント買ってからはあんまり使ってない・・・

 

14.ヴィセ ブレンドカラーチークスBE-8(ゴールドベージュ)

母親から強奪したやつ。日焼けっぽい感じになる。春夏はすごい使ってたんだけど寒くなってきてからはちょっとイメージ違うので赤系のを新しく買いたい。

 

 

めっちゃ長くなったやんけ。これ以外にもアイシャドウとかはあるけど今年たくさん使ったものだけね。脅威のキャンメイク率がやばい。化粧品は好きだけどお金はないからキャンメイクは本当に救世主だ。

また何年後かにこういうまとめをやって比較したいですなぁ。

屍者の帝国見て読んだ

10月14日にTOHOシネマズ新宿で『屍者の帝国』を見てきた。

 
友人に教えてもらった『ハーモニー』で伊藤計劃作品に初めて触れてから、虐殺器官屍者の帝国も読まなきゃな~と思いつつそのままにしていた。映画の公開が終わってしまうと嫌だったので原作未読ながら見に行こうとだるだると朝一の回へ。
 
事前に見ていた予告映像からワトソンとフライデーの友情モノなのかな?という印象だったんだけど、実際はそこまで重きは置かれず映画を見た感想としてはむしろワトソンとバーナビーの冒険じゃんみたいな。フライデーが屍者化されてしまって喋らない&過去回想で深い設定が語られないのが原因なんだと思うけど、力点が分散しててストーリーとしては分かりにくいなと思った。映像はきれいだけどものすごく印象に残るシーンがあったわけでもなかったから映画としては可もなく不可もなくという感じ。
 
私に伊藤計劃を教えてくれた友人は映画を見て「原作既読者からすると許容できない改変のように思う」と言っていた。だから原作も読もうと思って映画館からの帰り紀伊国屋で文庫本も買った。
伊藤計劃フェアが行なわれていて小さなブースに様々な本が並び、PSYCHO-PASSの槙島さんが屍者の帝国を読みながら「紙の本を読みなよ」と言っているイラストが置かれていた。同じノイタミナ作品としての登場ですね。
 
原作を読んだ感想は「サイコーやんけ」って感じで映画より原作が好き好き状態にすぐなった。一番びっくりしたのはフライデーがワトソンの親友でもなく国からの支給品ということだけど、結局はすぐに納得した。映画見ててあんまりにもありがちな設定だなと思ってたから、むしろ原作はそんなんじゃなくてよかった~と思った。二人の関係性を変更しているという脚本家のインタビューは見ていたけどここまで違うと清々しいね。
フライデーはワトソンとの旅を経て「意識のようなもの」を得る。その原因が親友との旅か仕事相手との旅かというのは相当に大きな違いで、正直親友との旅で意識芽生えてもふーんとしか思えないんだよな。
 
意識が菌床の生存からなる副次的なものという不確かさと、フライデーが旅の随行から意識を得るという奇跡的なイメージが重なって気持ちが良かったからせめて菌床の説明さえあれば映画の印象は変わったかもしれない。
 
ワトソンが最後に頭に書き込んだのは拡大派の菌床なのか保守派なのか、そもそもザ・ワンが語った意識は菌床によって見せられている夢というのは本当なのか。このへんすごく気になる。一回読んだだけじゃ固まらない。
 
映画はともかく原作はすごく面白かった。クライマックスシーンの解釈とか自分ではまだまとまってなくて、他の人がどんなふうに受け取ったのかこれから書評をめぐるのが楽しみ。
 

 

好きな人を追い求めて

 

去年の4月の終わりにtwiiterで知り合った方からNEWSをオススメされた。

NEWSというのは報道とか新聞のことではなくて、ジャニーズ事務所所属のアイドルです。オススメされた動画を見て「いいかも」と感想なんかつぶやいていたら、その方が「ぜひコンサートの映像も見てほしい」とBlu-rayを貸してくださった。

 これです。

『美しい恋にするよ』というコンサート名から漂う彼氏感(笑)とか気になるとは思うけど違うんです。本当にこれがすばらしいんです。

 

何も知らず私はこのコンサートを見て、ひたすらに一生懸命にステージに立って歌い、笑い、泣き、「幸せだ!」「美しい恋しよう!」と言うメンバーに心動かされたのでした。

アイドルの人生は他人に期待されてその期待に応えようとする道のりのように思います。一般人よりも強烈に目を意識する。いつもきれいでかっこよくいなきゃいけない、トークも面白くスマートにこなせて、踊りはもちろん、歌も下手だとか叩かれてもとにかく笑顔で歌う。いろんな人の色眼鏡で見られてどれが正解だか分かんなくならないんだろうかって思う。

NEWSを好きになってからほかのジャニーズアイドルも気になっていろいろ見てるけど、やっぱりそういうのはすごく気になる。自我とは、自分とは、他人とは、アイドルを見てるとそういうことを考えさせられる。

 

そのあたりのことは書きたいんだけどまたの機会にします。とにかく私はNEWSを好きになって人生初のことをいろいろ経験しました。ファミクラ(ファンクラブのこと)に入ったり、有料携帯サイトに登録したり、CDを初回限定盤A・Bと二種類買ったり、アイドル雑誌を買ったり、担当のメンバーが左手薬指だけにネイルをしているのを見て動揺して落ち込んだり。

そして2015年に入って待望のツアーが発表され、涙あり笑いありのチケット争奪戦のなか初めてのコンサートに行ける権利を得たのです。

 

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まずうちわ作った。

吉祥寺のダイソーで黒いうちわ買いました。いまやダイソーにアイドル応援グッズコーナーがあることを初めて知った。カラーシートはユザワヤで。自分の好みで蛍光シートを使わないで作ったんですけど多分ものすごく視認性が悪いです。(アイドル側からの。とても重要)

 

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NEWSカラーのブレスレット作った。

アイドルにはメンバーカラーというのが設定されてることが多いのでそれをモチーフにグッズを集めだします。私は担当が増田さんなので黄色のものを集めまくっています。友達のお母様がこの日のためにネックレスを作ってくれてすごいうれしくて、自分でもと思って作ってつけていきました。

 

https://instagram.com/p/1CIWewSCCf/

はやぶさ乗った。

生まれて初めて1人で新幹線乗りました。緊張してたけど普通の電車に乗るのと何も変わりなかった。仙台に近づくにつれ遠くの山に雪が残ってるのが見えてきて遠くに来たって感じがした。

 

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仙台!

 

そう仙台行ったんですよね。アイドルのために。新幹線で。初のコンサートで遠征することになるとは思ってなかったんですが、チケットが取れないこともあると聞いて絶対行きたいからと比較的競争率の少ない地方を申し込んでいたのですが、仙台が当たりました。本当にうれしかった。

 

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同志のみなさん。

東京から新幹線乗る時点でNEWSグッズ持った人と同じ車両だったりで、仙台駅から会場までも同志が大勢いるので道に迷うことがありませんでした。今回のツアータイトルが『white』なので白いワンピース率がものすごく高い。そこに担当のカラーを指し色してる。

 

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 ここが~~~ここがよ~~~

会場でグッズを買うのに早めに到着したんですけど、グッズ待機列がゼロだったので2時間か3時間ボーっとしてました。

入念にメイクを直す子とか、グッズのパンフレットを一心不乱に読み込んでる子とか、ツアーTシャツに着替えるためのトイレの長蛇の列とか。コンサートならではの風景を見てるのは楽しい。服装を見て誰の担当か推測する遊びを延々してました。ゆべし食べたり。

 

それでさぁ開演つってね。

コンサートの感想はまだツアーが続いていてネタバレになるので書きませんが、ほんっとうに素晴らしかった・・・。アイドルが、言ってしまえば好きな人が100m先にいることに感動して、歌って踊って笑って手を振ってピースして、それだけでこんなに幸せになるのかよ。

 

帰りは深夜バスに乗って東京に帰りました。

 

余談

  • 途中で「今だれかが走って抱きつきに行っても止める人いないじゃん・・・」とか不安になりました。

アイドルってものすごい数の人々に愛や情熱や好意や嫉妬や嫌悪やら向けられてるのにあんなに丸腰で1万人とかの前で歌ってるのすごすぎる。エンターテイナーって丸腰で戦ってるんですよね。それをすごい痛感しました。もはや非暴力・不服従の教えですよね。愛に対して肯定も否定もしない粛々と歌って踊って笑ってくれる、サイコーかよ・・・。

 

  • 終演後にシャトルバスを予約していたので駐車場沿いの列に並んで待っていると、4~50代のおじさんたちが携帯片手にじっと会場から出てくる女の子の群れを見つめていました。

「なんだろう?」と思っていたのですが携帯で話す声を聞いていたら分かりました。娘さんを待っている父親や祖父の方たちでした。「ゆき、おまえどこにいるんだ」「お父さんはだから、駐車場の入口だ」「楽しかったのか、そうか」それぞれがぽつぽつ話している声が聞こえてきてジーンとなりました。アイドルに恋してる娘を応援するお父さんたちかっこいいなぁ。

 

シャトルバスを待つ間ふと空をみると月が不自然に欠けていて、恐ろしく思ったのですがtwitter見てたら皆既月食だと知りました。初めてのコンサートの記念日が特別に思える。しかも仙台は東京より暗いからか星がよく見えて、空を見ながら特別な一日を思ってジーンとしました。良い日だ。

 

 思い出したら追記するかも

 

怖い話

友達に怖い話をオススメされた。


かんかんだら(長編)

 

これが今のオススメってことで読んだ。ものすごく身構えて読んだからそこまで恐怖を感じずに読みきれたんだけど、自分にとって「怖い」ってなんだろうなぁってぼんやり考えたのです。

 

かんかんだらでは、登場人物のひとりが巫女の怨念を鎮めるために森に置かれた箱の中身を動かしてしまう。それは禁忌であり、そのために怨念は実体を持って姿を現した。

この、均衡を崩してしまうっていう行為はオカルトの中では鉄板といっていい行為だと思うんだけど、私が思う恐怖にものすごく似ている。

恐怖といってもオカルトとか霊とかの類ではなくて、生きていく中で怖いと思うようなものだ。すでに出来ているグループに入っていくとき、ものすごく「嫌だ」と感じる。小学校、中学校、高校でグループの出来ていないまっさらなクラス、いち早く自分が構成要素の一員にならなければと気を張ってしまっていたのも、結局は秩序を壊す存在に自分がなるのが嫌だからだった。

オカルト話で神聖な場所や、異世界に入り込んだとき「嫌な」空気を感じ取る登場人物は多い。それは多分、登場人物がその場にとって異物であるからだ。繊細な均衡を破ってしまう可能性が自分にあるということを、異物なりに自己認識して「嫌だ」と感じとる。その場にとって歓迎されない者であると同時に、自分もなにが楽しくてこんなところにいるのかと拒否している。

私にとっての恐怖は、誰かの迷惑な存在に自分がなってしまうこと。場を乱す存在になってしまうこと。

かといって私は自分の心やグループの均衡を崩されることを悪とはしたくない。新しく入ってくる要素を歓迎したいし、私の既成概念を壊してくれる存在を待ち望んでいる。

そうでなければ多分、私は怨霊と変わりなくなってしまう。

いつまでも同じ感情や考えに支配され、変化を拒むのは生きている人間には不健康すぎる。もちろん全て変わってしまうことが良いとは思わないし、禁忌は禁忌として意味があるのも分かっている。でも多分私はこの恐怖を克服しなければならないのだ。

誰かにとって迷惑だとしても、場を乱したとしても全部壊して更地にするくらいの気概も必要かもしれない。そうすれば誰かの怨念が成仏するかもしれない。

 

でも森の中で箱を見つけても触らないでおこうと強く思ったよ。